大井競馬場
大井競馬場では、装鞍所の2階が調整ルームになっていて、騎手たちは開催
の期間中、そこでの寝泊りが義務づけられている。まあ、中央と比べればかな
り簡素な感じをうける宿泊施設ではある。
数年前まで、その施設のなかにいわゆる「開かずの間」といわれる部屋が存在していたことは一般に知られていないことだろう……。
そもそもの始まりは昭和印年代だった。
当時はまだ鉄火場の雰囲気が残っていた地方競馬。確かに競馬場内設備も客層も、いまとは遥かに違う怪しさがあった。そのために何かあると八百長が取
りざたされる時代でもあった。そんなこともあり公正競馬を目指す主催者側は、
調整ルームの出入りに際しても厳格なルールをつくって徹底管理した。
もちろん事情は大井競馬でも同じで、騎手たちは開催の数日間分の必要な身
のまわりの品々を準備してからそれぞれの部屋に入っていった。調整ルームで
も厳しい監視の目があったので、それぞれが個室のなかで過ごす時間が多かったそうだ。
そのなかのひとりに、あまり乗鞍数に恵まれないジョッキーAさんがいた。
6日間の競馬開催期間中、騎乗依頼はあったとしても1つか2つだけという
状態。いい馬に乗せてもらえるわけもないから、稼げる賞金も微々たるものだ
ったそうだ。レースで稼げない彼は、仕方なく人の調教の代理を務めて生計を
立てていた。現在でも大井で現役騎手として乗っているMさんの攻め専(忙し
い騎手の乗り馬の調教を替わりに務める人のこと)として調教で頑張っていた。
マジメで口数の少ない人だったそうだ。
ある開催で、ひっそりと調整ルームに入っていったAさんを気に留めたもの
は誰ひとりいなかった。あとになってみればどうも雰囲気がおかしかったという証言もでてくるが、そのときは誰も異変に気づかなかったのだ。おそらくそり明爵やも、Aさん刀乗り鞍はひとつあっただけだった。開催が終わってそれぞれが自分の家に戻っていったあと、職員によって、ひとり調
整ルームの寵国の芯かで死んでいるAさんが謹見されるのだ。
話だけ聞けば自殺のような印象を受けるが、死因は自然死と
判断された。彼は眠るようにして命を落とした。誰も彼の死を
止めることはできなかったのだ。
それ以降、彼の使っていた部屋はひっそりと封鎖された。扉
は堅く閉じられ、誰にも使われずに『倉庫』という表示が出されるようになった。
やがて年月がたてば、人は入れ替わる。
昔の事件など知らない若者が入ってきて世代交代が進んでいく。事件は月日を追うごとに風化していった。
しかしウワサは残った。「大井の調整ルームには開かずの間がある」と。
数年後。個室の並びに『倉庫』がずっとあることに不審を持つ
若者が現われる。これぞ若き日のU騎手だった。U騎手は思った。
「なんで、この倉庫はずっとカギがかかっているのか?」
不思議に思ったら解決せずにはいられない性格のU・彼は、そ
く。事件は月日を追うごとに風化していった。
しかしウワサは残った。「大井の調整ルームには開かずの間があ
る」と。
その頃大井のリーディングであった騎手Mさんに聞いてみたそうだ。
「Mさん、あの倉庫は、ウワサの『開かずの間』なんですか?」
聞かれたMさんは最初はためらっていたが、すでに加年近く時間がたってい
ることもあって、ことの顛末を洗いざらい細かく教えてくれたそうだ。
M騎手にしてみれば、すでに長い時間がたっている昔のことではあるが、自
分の攻め専をしてくれていた同僚の死に対して、ずっと目をそむけてきたとい
う負い目もあったのかもしれない。その部屋もずっと閉めっぱなしで使われなかつたが、そろそろ『倉庫』ではなく、Aのためにも区切りをつけなければならないと感じたようだ。
すると翌日、不思議なことが起こる。
M騎手が調整ルームの引越しを始めたのだ。いままで使い慣れた部屋の荷物
を運び出し、驚くことに開かずの間だった扇塑屋へと運び入れているではないか。
「Mさん急にどうしたんですか?」
あまりにもの事態に、ほかの騎手たちは慌てた。事情を知っている一部の騎手からは、
「Mさん、やめたほうがいいんじゃないですか」という声もあったが、M騎手は「これからはおれがこの部屋を使うんだよ」と吹っ切れた顔で引越しを進めたそうだ。
引越しは終わり、その開催から大井競馬の『開かずの問』はついに姿を消したそうである。
「なんか最近、Mさん穏やかだよな・・・…」
引越し以降、さらに元気になったMさんを見て、若手たちは感心したそうだ。
悟りの境地に達したMさんは、いまでも大井で現役で頑張っている。
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